2013年10月22日火曜日

続けると言うこと

日曜の夜に、小学校6年の娘とダンスバトルしまして、
右太ももが若干肉離れ風で歩き方のオカシイ山崎でございます。
やはり、筋肉痛が一日置いて来るので、アラフォーを確信し、
今後、娘とのバトルは控えようと誓いました。

ワタクシ、子供が生まれてからHIPHOPを始めるという
チャレンジャーな主婦でした。
29歳の時、子持ち主婦のクセに、もっとうまくなりたいから
もっとうまい人に習おう!と出会った先生がいました。

当時彼は21歳。それから10年経過したので、現在31歳です。
昔は本当のストリートダンス。練習なんか外でするわけです。
30のオバサンにランニングマン1時間半やらせるオニ先生でした。

彼の10年。アタシの10年。

先日、気がつけば、宮本亜門大先生が日本一のダンサーを選び、
日韓ダンスバトルをやるというテレビ企画で、宮本先生の目を魅了して
チームを編成するリーダーになっていました。
AKBの振り付けとかしてるしwww
秋元康さんに気に入られたんだって。まじかし~~~~!!

日本一のダンサーになってしまった。

21歳の頃から、あれやりたいこれやりたいっていつも夢みたいな事を語っていました。
当時「無理に決まってんじゃん。どんだけナルシだよ」って煙たがる人たちももちろんいました。
でも、アタシは知っていた。
彼の湧き出る自信は、練習量・努力に比例しているって。
そして、彼の10年を見てきて、考えた事があります。

ダンスコンテストで負けて泣いてた時。
対人関係で揉めて、仕事を干されて無一文になった時。
東京での仕事がなくなって、大阪に仕事を求めて旅だった時。
大阪で成功したけど、やっぱり関東圏で成功したいって戻ってきた時。

どん底になっても絶対にこだわりを捨てなかった。
「もう、ソロバトルで日本一になったんだからいいじゃん。十分じゃん」って言っても
「チームを作って一位になるのがダンスを始めた時からの夢なんです」

そして、成功のニュースが入ると「やりやがったな( ̄ー ̄)ニヤリ」とアタシはほくそ笑んでいたのです。
彼の成功は苦悩の10年の結果です。

久々に地元飯能で、ショーをやると言うので、うちに寄って~~ってお願いして
寄ってもらいました。アタシには免許持ってる事すら驚きなのに、
「軽自動車でも良かったんですけど、事務所の社長が
ダンサーの夢を背負ってる身分で、日本中が注目するダンサーなんだから
いい車に乗りなさいって言ってポルシェ探してきてくれたんです。」
オバサン唖然 (;゚д゚)ァ....車にこだわりはないのね・・・www
ポルシェで山に言って山道で転がってる枝踏んでフロントバンパーガリガリなってるしwwwww
おちゃめさん。

「日本一のチームを作るって言ってて、作っちゃったでしょ?次は何するの?」
「まだあるんです。やることはまだまだあるんです。」

アタシには見えない。次に彼に見えてるモノが。

でもね、大切な事を教わった。
「強いこだわりを持つこと」
「達成するまで諦めないこと」
「達成するための努力は惜しまないこと」
「やっている事を好きでい続けること」

 スゴいパワーもらった。
電子部品は好きじゃないけど、困ってる人を助けるのは大好き。
好きなこと 誇り高く やり続ける。
シンプルだけど、結構難しい。

でもアタシはやるよ。
彼の10年に負けないぐらい苦労した10年。
どっちが頑張ってるのか競争だ!
と一人で戦いを挑んで、敗北・・・・するわけねぇぇぇぇぇぇぇ
ぜってー負けねーーーーーー

彼には”次”が見えているんだろうな。。。。。


自己満で先生の紹介ページ作るからね!!!!見とけよ!!!
今日はオバサン帰るけど